外国人戦争犠牲者追悼核廃絶人類不戦の碑


 この碑は長崎市民有志と外国人被爆者たちの呼びかけで、太平洋戦争開始40周年の81年12月8日に建てられたもの。その正面には「外国人戦争犠牲者追悼・核廃絶人類不戦」の文字が日英両文で刻まれている。
 また、その下には、炎上する浦上天主堂と地下に眠る外国人たちの骨、平和の白い鳩を描いた上野誠の版画が彫り込まれている。

(碑文より)

●核廃絶人類不戦の碑建立の由来

 1931年9月18日の柳条溝事件を契機とする日中戦争、1941年12月8日の真珠湾攻撃に始まる太平洋戦争など、 この15年にわたる戦争によって310万人の日本人、数千万のアジアと世界の民衆の尊い生命が奪われた。
 この戦争の末期、長崎では数次にわたる米軍の空襲、潜水艦攻撃、そして8月9日の原爆によって7万余の日本人、数千の朝鮮人、中国  人労働者、華僑、 留学生、連合軍捕虜(イギリス、アメリカ、オーストラリア、オランダ、インドネシア等)が犠牲となった。とくに浦上刑務所のあった隣接する丘では、 32名の中国人、13名の朝鮮人が、日本人受刑者とともに爆死し、また香焼や幸町の捕虜収容所では、被爆前に病気や事故などによって数百名の連合軍兵士が  死亡した。
私たちは長崎で亡くなった、これらすべての外国人戦争犠牲者、遠くアウシュヴィッツ強制収容所で殉難したコルべ神父らを追悼し、再びこのような惨劇を繰り返さぬよう、 核兵器廃絶、人類不戦の誓いをこめて、内外から広く浄財を募り、ここにこの碑を建立する。
                 1981年12月8日
                 太平洋戦争開始40周年の日に
                 外国人戦争犠牲者追悼碑建立委員会