電鐵原爆殉難者追悼碑


 この碑は動員学徒を含む110余名の電鐵労働者を追悼して、建てられた。台座には、被爆したホームの縁石や当時の電車の車輪などが置かれている。

(碑文より)

 大平洋戦争末期、戦火は益々厳しく造船・兵器工場のある長崎の街は、戦時体制の中で大量に動員された通勤者や一般市民の輸送は最大の急務で特に朝夕のラッシュ時の混雑は想像に絶するものでした。
 この輸送にあたった市内電車の運転士・車掌は交通戦士の名のもとに男子・女子挺身隊学徒動員の10才代〜20才代初めの人たちでした。
 原子爆弾の炸裂により、この人達は電車のハンドルを握ったまま、車掌カバンを抱いたまま、中には、いまだ12才の少女車掌を含め110余人の若い命が、多くの乗客と共に悲惨にもその犠牲になったのであります。