福田須磨子詩碑


 1971年4月2日、燃えつきるように逝った福田須磨子の強烈な反原爆の意志を引き継ぐために、その一年後、被爆者や証言活動の仲間達によって建てられた。正面には詩集『原子野』からとった詩「生命を愛しむ」が刻まれている。また、屏風状の壁は核の脅威を表わし、秋月辰一朗の撰文が刻まれた筒状の台の中には詩集『われなお生きてあり』が納められている。命日の4月2日は例年この碑の前で「須磨子の集い」が行われ、反核証言の誓いが交わされている。

〈壁面の裏側〉

 一九四五年八月九日
 午前11時2分、第二次世界大戦末期、世界第ニの原子爆弾が広島についでこの地、長崎の上空に炸裂した。
 一瞬に死傷者は十万人に達し生存者はその後三十年にわたって原爆後遺症と生活苦に呻吟しつづけた。福田須磨子もその一人である。
 しかし彼女は黙することなく生涯にかけて原爆非人道性を訴えつづけた。この碑は福田須磨子の不屈の生涯をしのび、あわせて世界の恒久平和を祈念するために全国の有志九百二十名の御芳志をもって建立するものである。
                        一九七五年八月二日
                          詩碑建立委員会