7.淵中学校 
      


 爆心地より南西へ1.1キロメートル
 当校の鉄筋コンクリート3階建本館と鉄骨木造の体育館は、外壁と骨組のみを残して内部は崩壊、L字型の木造2階建校舎と中庭の木造平屋建校舎は倒壊、全焼した。
 本校には、4月当初、職員48名、生徒1445名が在籍していた。その日生徒は動員学徒として工場で働いていた。あの一発の原子爆弾で、7名の職員と大勢の生徒が犠牲となった。
 戦後、焼け残ったコンクリート校舎は修復され、淵中学校の校舎として使用されてきたが、老朽化が著しく、平成元年に解体された。
                         (説明板より)

旧校舎玄関支柱と門柱

 この4本の石柱は、淵国民学校の玄関にあった石柱です。右の一対は、当時、上部の穴から鉄骨が伸び、ひさしを支えていましたが、原爆の炸裂によって発生した爆風でひさしが持ち上がり、落下したはずみで角が欠けたものです。左の一対は、玄関の壁側にあり、右の一対と共に、ひさしを支える形で装飾的に付いていたものです。   (説明板より)


淵国民学校遺壁



 遺壁の間にある木片は、原爆の際に起こった火災によって黒く炭化したものである。   (説明板より)











旧体育館外壁




 原子爆弾により中庭にあった鉄骨木造の体育館の外壁と骨組を残して、崩壊し内部は燃えつきた。
 戦後、再復興されたが、その後の新体育館建設に伴い、解体を余儀なくされた。工事中、北側のコンクリートの外壁の内部に爆風による亀裂と炭化した木片が多数発見されるに及び、ここにその一部を移しとどめたものである。   (説明板より)









職員児童戦災死者之碑





 戦争で犠牲となった職員や児童の御霊を慰めるため建立された。














平和の輝生

 コンクリート打ち放し部の曲線は、昭和20年8月9日に長崎に落とされた、二度とあってはならない原爆の傷跡を表現し、ステンレス部の曲線は
悪夢の出来ごとから今日まで、そして未来へと世界平和を願う全世界の人々の思いをステンレスの曲線と輝きで表現した。
 3つの和にやさしくつつまれる中央部の半球は、この地球に生きているすべての生き物の(心のやさしさ、暖かさ)魂を表現した。又、世界の中心となって世界平和をめざして行くNAGASAKIの未来への飛躍をも表現している。
 今、私達は、永遠の平和を心から希求し、君達と新装となった学舎に明日の希望を託し、その証としてこのモニュメントを建立する。
                          (説明板より)

  
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