5.山里小学校 
       


爆心地より北へ600メートル

あの子らの碑

 この原爆で亡くなった「あの子ら」の霊を慰めるとともに幸いにして生き残った子どもたちが、人類が求めてやまない平和な世界への希望を永遠に持ち続けるようにとこの「あの子らの碑」は建立された。
 この碑には、白御影の石のなかに少女像をレリーフした銅板がはめ込まれている。おかっぱ頭にもんぺをはいた少女は原爆の炎のなかにひざまずき天に向かって合掌し祈っている。碑には、作者の名もなく、碑銘もない小さな碑で、そばに立っている石柱には「平和を」、裏には「あの子らの碑」と永井隆博士の筆になる言葉が記されている。


山里国民学校防空壕跡

(説明板より)

 第二次世界大戦の終わりごろ、敵の飛行機が夜も昼も飛んできては、空から爆弾などを落とす日が多くなりました。その恐ろしい空襲から命を守るため、空襲の時、避難する「防空壕」があちこちに掘られました。
 山里小学校のこの崖にも18箇所に防空壕が掘られ、子どもたちや近所の人たちの避難場所となっていました。
 長崎に原爆が落ちた昭和20年8月9日も、ここで新しい防空壕を掘る作業をしていた先生方や、近所の人たちがものすごい爆風のために、この崖にたたきつけられたり、熱線で火傷を負ったり、放射能を浴びたりして、この壕の内や外で次々に亡くなっていきました。
 二度とこんなどとがないように、平和への決意と平和を語り継ぐ場所として、この防空壕を残しています。