「昭和20年8月9日原子爆弾の却火とすさまじい爆風は、一瞬にして長崎の北部一帯を廃墟と化し、14万有余の市民を殺傷した。さながら地獄のごとき様相は、核兵器の恐るべき脅威を示すものだった。この日に家にいた国民学校児童5800余、報国隊として工場に出勤していた1900余の生徒たちは、100余の教師と共に即死または放射線によりつぎつぎと尊い命を奪われた。
都市を経るに従い、この悲惨な事実が忘れ去られることは忍び難く、県内外の教職員及び有志の協力により、亡きみ霊の安らかならんことを祈念し、再びかかる惨禍を繰り返さぬことを誓い、ここにこの像を建立するものである。」
昭和57年8月3日
原爆殉難教え子と教師の像建立委員会