原爆供養塔(三菱重工業長崎兵器製作所)

 


 この「原爆供養塔」は、文教町の三菱重工昭和寮の横にあり、その左隣は長崎大学のキャンパスになってます。
「原爆供養塔」の台座中央の碑文が、工場の当時の惨状と建立の経過を伝えています。
それによれば、三菱重工業株式会社長崎兵器製作所は、1万5000人を動員して「魚形水雷」の生産に当たっていたが、原爆によりその大半が傷つき斃(たお)れ工場建物はことごとく倒潰しました。
戦後、生き残った従業員によって再興され、2273人の殉難者の霊を慰めました。
しかし1951年7月、この工場も閉鎖され1952年8月9日、この碑が建てられました。

                
                

●文教町3-57 三菱重工昭和寮横