永 井 隆 博 士 の 生 い 立 ち

 永井博士は、明治41年2月3日 島根県松江市の医師の家庭に5人兄弟の長男として生まれ た。 父は祖父「文隆」の名前の一字をとって「隆」と名付けた。その年の秋、飯石村(現 三刀屋町)に移り住んだ。  幼い頃から、父と母とが、ランプの下で一冊の医学書を中心に毎夜いかにも楽しそうに勉強しているのを見て、 勉強は楽しいものだと思っていた。
 大正9年、飯石小学校を優等で卒業し、松江中学に入学した。級長のような人の上に立つ仕事は嫌いでどちらかといえば、内面的で読書をしたり、絵を描いたり、友だちと静かに話をしたりするのを好んだ。
 大正14年、松江中学校を卒業し、松江高校理科乙類に入学した。高校時代は自然観察と議論が好きで、紅葉を見ればその美を、地蔵様を見ればその相貌について親友相手に真剣に議論していくなかで、真理探究の精神が磨かれた。
 そして昭和3年、松江高校を優等で卒業し、同年4月長崎医大に進んだ。
 大学入学時、身長1メートル71センチ体重70キログラム大きな身体で、どこか間の抜けた線の太さが、西郷さんを連想させるものらしく「隆盛」のニックネームをもらって、だれからも親しまれていた。 器械体操など運動を苦手としていたが、数学・国語・美術等は得意であり、また、和歌に巧みで、芝居もうまく多芸多能であった。不得意なスポーツをなんとかして上達しようと努力をしたが、うまくいかなかった。 ひとつだけでも得意なものをもちたいと念願し、高校では弓道、大学ではボートをひととおりしたが、どれひとつとして成功しなかった。
 最後に選んだのが、当時流行した新しいスポーツ、バスケットボールで、長崎医大篭球部に席をおき、試合運びに独創工夫を重ね、明治神宮の全国大会に出場して三等になり、西日本選手権を獲得した。 大学を卒業するころには、きびきびと身体の動くひとかどのスポーツマンになっていた。