水を求めてさまよい、息絶えた無縁の13名を火葬し、埋葬した。住職は, 1986年8月、原爆殉難者供養のため境内にこの平和観音像を建立した。碑文に は、「戦争により、原爆後の苦しさ、物のない生活を忘れてはなりません。永遠に平和でありますように平和 伝えいつまでも忘れないで下さい。」記されている。
稲荷明神堂の石の鳥居が崩れ落ち、折れずに残った片方の1本(高さ約2.2メートル、周囲約80センチメートル)は、石段脇に立て掛けられている。
この寺は、救護所に指定してあり、負傷者がやってきたがその多くは死亡した。その人たちのなかで、引き取り手のない15人の遺体を住職が火葬し、埋葬した。その後、この地蔵尊は建立された。
また、地蔵尊の横に埋葬してあった遺骨は、現在平和公園の「長崎市原子爆弾無縁死没者追悼祈念堂」に安置してある。